運営者プロフィール

こんにちは、JETB の岩窪です。

プロフィール

  • 52歳、男性
  • 両親・妻・息子と東京で同居(娘はハンガリーで勉強中)

略歴

生誕〜大学

  • 1967年 生誕、横浜市磯子、ほとんど記憶はない
  • 1972年 大阪(枚方)に転居、田んぼでザリガニ釣り
  • 1974年 寝屋川に転居、小中高ほとんど水泳に没頭
  • 1987年 1浪で国立大学工学部入学、仙台で一人暮らし

会社員時代(東京)

  • 1991年 東京で総合商社に入社、装置の海外営業一筋
  • 1993年 取引先メーカーのマドンナと結婚
  • 1996年 第一子(娘)誕生(韓国出張中)
  • 1999年 第二子(息子)誕生(残業中)
  • 2000年 会社再編で新会社に転籍
  • 2003年 更にその子会社に転籍、香港駐在の話を断る
  • 2005年 地元企業に転職、国内営業を経験 → 挫折
  • 2006年 ロボットメーカードイツ法人責任者枠に応募

ドイツ赴任〜起業

  • 2007年 ドイツ赴任、家族とフランクフルト郊外に移住
  • 2014年 ドイツで起業、JETB GmbH設立
  • 2017年 米国にパートナー会社(JETB-USA LLC.)設立
  • 2018年 東京に戻り個人事業主開業
  • 2020年 日本法人設立準備中

幼少期〜高校、浪人まで

書きたい事はたくさんありますが、長くなるのでここでは端折ります。また機会があれば、いつか書きます。

大学時代

天才・奇才が集まる国立大学の工学部に入学したものの、シュレーディンガーの波動方程式やら、全く理解できない事の連続。優秀な友人と優しい教授のお陰でなんとか卒業するも、研究の道を諦め、総合商社に就職。

商社時代

商社では一貫して精密機械、半導体組立装置の海外営業。途中、会社再編で新会社、更にその子会社への転籍など波乱はあった物の、15年に渡り、毎年100日前後、世界各国に出張。給与以上の経験をさせて貰った。

商社時代に行った国・都市

  • 台湾(台北、新竹、桃園、台中、高雄)
  • 韓国(ソウル、水原、温陽、器興、他)
  • フィリピン(マニラ、バギオ、セブ)
  • マレーシア(KL、ペナン、マラッカ、JB)
  • シンガポール(インドネシアのバタム島を含む)
  • 中国(上海、蘇州、無錫、寧波、青島、香港)
  • 米国(NY、NJ、PA、MA、CT、MD、MI、CA、TX、UT)
  • カナダ(トロント、モントリオール)
  • 欧州(独、仏、英、蘭、葡)

転機

35歳の時、2度目の転籍後に香港駐在の話を頂いたが、いろいろ考えた上でお断りし、その3年後に退職を決意。この時の心境などは、いつかブログに書きます。

海外出張ばかりで離れ離れだった家族との時間を取り戻す為、家から自転車で通える印刷インクメーカーに転職。しかし、国内営業は自分のフィールドでは無いと思い知らされ、改めて、自分の進む道を考えた。

海外営業はしたいが、出張漬けで家族バラバラの生活は嫌だった。中間管理職の下で働くのも嫌だった。自分の希望を書き出してみた。

  • 自分の得意フィールド:精密機械の海外営業
  • 大切にしたいもの:家族との時間と教育環境 → 先進国
  • 仕事環境:中間管理職の下では働きたく無い → 社長直轄

書き出してからは早かった。

直ぐに、「ロボットメーカー」の「ドイツ法人」と「アメリカ法人」の「社長直轄の現地責任者」枠を見つけた。アメリカ法人の方はちょうど締め切り後だったので、ドイツ法人の方に応募。駐在ではなく、現地社員としての雇用(片道切符)だったのが魅力だった。

40歳以上の枠に39歳で応募したが採用された。

7ヶ月の研修を受け、40歳の誕生日の直前にドイツに赴任した。

ドイツ生活(40代)

39歳11ヶ月でドイツに渡り、翌月40歳の誕生日を迎え、51歳の誕生日の直前に東京に戻った。40代はずっとドイツで過ごした。

最初の7年は日系ロボットメーカーのドイツ法人の責任者。1995年から赤字続きだった会社を初年度から黒字化し、全体の売上を2倍、営業担当地域の売上は4倍に伸ばした。代理店が売る仕組みを作ったので、今でも売上は伸びている。

訪問した国(全27カ国)

ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、イギリス、アイルランド、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スェーデン、フィンランド、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニア、トルコ、イスラエル

2014年、社長(オーナー)と意見が合わなくなり、退職する事になった。詳細はまたどこかで書く事にする。(→書きました。

その時、娘は18歳。高校卒業を目前に控えた時。

息子は15歳。高校に入ったばかりだった。

さすがに「日本に帰ろう」などと無責任な事は言えず、なんとかドイツに残る道を探した。

さりとて、中間管理職の下で働くのが嫌でオーナー社長直轄で働き、そのオーナー社長と喧嘩をして会社を辞めてしまったので、次は起業しかないと一念発起ドイツで起業。

中間管理職の下は → オーナー社長直轄 → オーナー社長と喧嘩 → 起業

しかし

  • 異国(ドイツ)で起業
  • いきなり(準備不足で)起業
  • 教育費が最も掛かる時に起業

と、やってはいけない3原則を全て一度にやってしまい、大変な事になる。

が、出会いや運に救われて、今も継続中。

ここについても、機会があれば書く事とする。

東京に戻って第二創業

2018年、息子の高校卒業を景気に家族で東京に戻る。息子も東京の大学の商学部に進学し戦力化。ドイツで作った借金も2年で返済。この2年で、既存のクライアントと関係強化し、新たなクライアントと出会う。

2020年、今年は第二創業の年。新たな挑戦を続ける。

こちらもCHECK

【起業 ← 副業】事例紹介

今日は少し毛色を変えて、私の【起業 ← 副業】の事例をご紹介する。 最初の副業は大失敗 最初に副業をしたのは、かれこれ20年近く前。まだ30代の頃。 当時、私が勤めていた会社では副業は認められていなか ...

続きを見る

Copyright© JETB Blog , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.